クアトロリンガルのLyrics

K-POP, C-POPファン。歌詞の翻訳をします

金東仁(キム・ドンイン) 『狂炎ソナタ』 短編小説 和訳

著者死後50年以上経っているパブリックドメインの作品でしたので、翻訳してみました。
原文:https://ko.wikisource.org/wiki/%EA%B4%91%EC%97%BC_%EC%86%8C%EB%82%98%ED%83%80

読者は今から私が語ろうとしている話を、ヨーロッパのどこかで起きたことと思っても良い。もしくは、四、五十年後の朝鮮で起きることと思っても良い。ただし、この地球上のどこかでこのようなことが起きたかもしれない、あったかもしれない、もしくは起こるかもしれない、可能性だけはあるーーーこれくらい知っておけば良いだろう。
なので、私がここで語ろうとしている主人公のベク・ソンス(白性洙)を例えばアルベルトと思っても良いし、ジムと思っても良いし、湖なんとかもしくは木村なんとかと思っておも良い。ただ、人間という動物を主人公とした、人の世に起きたことだけわかってくれればーーー
これを前提で、さあ、私の話を始めるとしよう。

ーーー

「機会(チャンス)が人を滅ばせることも興らせることもできることをご存知ですか?」
「はい。もはや改めて議論する課題にもなりませんね」
「ほら、ここにある商店があるとしましょう。ところで、ちょうど店主も店員も、誰もいない時に偶然前を通った紳士がーー財も名望も厚く、礼儀正しい人でーーその紳士が空っぽの商店を見て、こう思えるかもしれませんよね?空っぽだし、盗人でもゆっくり入れるだろう、入って盗んだら誰も知らないだろう、なんで店を空っぽに放置するんだろう……こんな考えの末、もしくはあの、あの...なんというか、突如の変態真理でなんでもない小さいものを一つ(大したものでもないし、欲しいとも思えない)取って、ポケットに入れる場合があるかもしれませんかね?」
「さあ」
「あります。あるんです」
ある夏の夕方だった。都会から離れた郊外の川辺で、二人の老人が座ってこんな話をしていた。その機会論を主張している人は著名な音楽評論家K氏だった。聞いている人は社会教化者の某氏だった。

ーーー

「さあ、本当にありますかね」
「あるんです。とにかく、あると仮定して、その場合、その責任は誰にありますか」
「東洋のことわざに『瓜田に履を納れず』ともありますし、その紳士が責任を取りますかね」
「そうしてくれるのであればそれだけの話ですが、その紳士は礼儀正しい人でそのような絶対的で奇妙なチャンスでなければそのような行動はおろか考えもしない人だったらどうなります」
「……」
「いえば、罪は『チャンス』にあるのに『チャンス』という無形物は何ともできないのでその紳士を加害者と認めるしか、今は手がありませんよね」
「そうですね」
「またひとつーー人の、天才と言われるのも場合によってはある『チャンス』がなければ永久に現れないこともあるのに、その『チャンス』というものがその人から、その人の『天才』と『犯罪本能』を一気に導いたなら、我々はその『チャンス』を呪うべきでしょうか、祝福すべきでしょうか」
「さて、どうでしょう」
「先生はベク・ソンスという人をご存知でしょうか」
「ベク・ソンス?さあ、覚えのない名前ですが」
「作曲家として、そのーー」
「あ、思い出しました。有名な『狂炎ソナタ』の作者のことですね」
「はい。その人が今どこにいるかご存知でしょうか」
「わかりません。発狂したという噂がありましたがーー」
「はい。今××精神病院に監禁されていますが。その人の一代記を話しますので、聞いていただいてから社会教化者としての意見を伺えばと思います」

ーーー

私が今語ろうとするベク・ソンスは、お父上も素晴らしい音楽家でした。私とは同窓でしたが学生時代より彼の才能はたっぷりと堪能できました。彼は作曲科を専攻しましたが、時々自ら作曲しては夜中一人鍵盤を叩いたりして、我々を思わず起きるようにしたりしました。そして我々はその真夜中に鳴り響く野生的旋律に体を震わせたりしました。

彼は野人でした。狂気溢れる野生は度々気に食わなかったら先生を叩くことも多くあり、母校の近所の居酒屋や全ての商店の店主で彼に殴られたことがない人はいませんでした。そのような野生は彼の音楽の中にたっぷりと潜んでおり、むしろその野生的力が彼の芸術をより輝かすものでした。

しかし彼が学校を卒業した後、その野生は他の方向に向いてしまいました。酒!酒!怖い酒でした。朝から晩まで、晩から朝まで、盃が彼の口から離れませんでした。そして酒を飲んでは婦女子に暴れ、警察署に囚われ、出てきてはまた同じことを繰り返し…….

作品?作品って何ですか。酒を飲んで酒興を発しては時々ピアノの前に座り即興で弾奏したりしたのですが、今思えばその鬼気が人を襲う力と野生(ヴェートーベン以来近代音楽家からは見出せなかった)そんな宝物といっても良いものが多かったのですが、我々は各々の道を歩むことに忙しい人で、酔っ払いの即興曲を一々写しておくなどのことは夢にも思えませんでした。
我々は彼の将来のためを思い、酒を控えることを勧めましたが、そんな野人に友人の勧告が受け入れられましょうか。

「酒?酒は音楽だ!」

とははっと笑い飛ばしてはまた酒屋に逃げたりしました。

そうやって七、八年後、彼は完全に廃人になってしまいました。酒が入らないと彼の手は震えました。目にはやにがたまりました。そして酒が入れば、酒を飲めば彼はその狂暴性を発揮しました。誰を構わず捕まえてはその口に酒を注ぎました。そしては場所を構わずどこにでも寝転んでは寝ました。

実にもったいない天才でした。我々の中では彼の才能を考えては惜しむため息はありましたが、世の中はその『将来が怖い一人の天才』がいることを知りませんでした。

そんな中、彼はある良き家の女性とどうやってか関係を結び、子供を孕ませました。ですがその子の誕生を見れず、心臓麻痺で死んでしまいました。

そんな彼の忘れ形見がベク・ソンスでした。

しかし、我々はベク・ソンスが生まれたという噂を耳にしただけで、お父さんが死んでからは彼や母親に関する噂は一切知りませんでした。いや、知らなかったというより、あの家のことは我々の頭から消え去ってしまいました。

ーーー

30年という時間が経ちました。
十年一昔というのに、30年間の世の変わりは凄まじいものでした。とにかく、その間に私は私の名前を磨きました。ご存知の通り、今Kと言ったらこの国一の音楽批評家ではありませんか。筋金入りの指導的批評家Kといえば、この国の音楽系の権威であり、この私の一言が音楽家の価値を決める宣告といっても良い程度にまでなりました。数多くの音楽家が私のもとで育ち、また数多くの音楽家が私の導きで名前を輝かせました。

ーーー

一昨年の初春、ある日のことでした。
その時、私は静寂に包まれた夜中の数時間を〇〇礼拝堂で瞑想することが日常になっていました。坂の上に孤独に立っている建物で、静まった夜、一人でいると時々、柱の驚いた鳩の羽ばたきの音や落ちる水玉の音ぐらいしか聞こえてこない、言えば私みたいなへんてこな趣味の人でなければ、金を貰えるとしても入らないような、陰気臭い建物でした。しかし私のような瞑想を嗜む人であれば他では探せないほど全てを整えている家でした。孤独で静かで陰気で、時々訳のわからない神秘な音まで聞こえてきて、時々驚いたような汽笛の音も聞こえてくる......これだけでも相当なのに、しかもこの礼拝堂にはピアノも一台、置いてありました。礼拝堂にオルガンはありますが、ピアノがあるところは珍しく、たまに気が向いたときはピアノに座り一曲叩く面白さもありました。

その夜も(多分2時は過ぎてたと思います)その礼拝堂で一人目をつぶって静寂を味わっていたところ、急に下の、あの辺からうそうそと音が聞こえてきました。それで目を大きく開いたら火光が天を突いていて、外を見ると坂下のある家に火がついて、人々が右往左往と走っていました。

こういうと、どう聞こえるかわかりませんが、さほど遠くないところで火が燃える事を見る味は相当良いものでした。燃え上がる炎に広まる煙、火花が飛ぶ様、その中に黒ずんでいる柱、家の亡骸、うそうそとしている人の群れ、こういう光景はどこか思えば詩にもまれますし、音楽にもなれるものでした。昔、ネロがロマが燃える姿を見ながら、自分は琵琶を奏でながら歌っていたということも、音楽家としての見解としてはそこまで咎めることでもございません。

私もその時、その炎を見て少しずつ、興じました。
……ネロに見習って、私も即興で一曲、叩こうかな、ふとこんな考えをしながら、私は我を忘れ、炎に夢中でした。
その時でした。いきなりギシギシと音が聞こえ、礼拝堂のドアが開き、一人の若者が慌てながら飛び込んできました。そして何かにびっくりした人みたいに、キョロキョロ周りを探っては、それでも私がいることには気づかなかったのかあちらの窓際に隠れ立っては下の燃える炎を見はじめました。

私もビクともできませんでした。とにかく尋常な人ではありませんし、放火犯か盗人としか見れなかったのです。それで微動もせず立っていたら、その人がため息をつきました。そしてぐんなりと腕をぶら下げては出て行こうと足を動かそうとしたところ、そばにピアノがある事に気づき、椅子を引っ張ってはピアノの前に座り込んでしまいました。私もその姿には職業柄興味がそそりました。そして何をするのか見ようとしたら、蓋を開けては一度トンと試したのです。そして、しばらくしてはまたトントンと試し打ちをしました。

そこから彼の息が荒くなりはじめました。ざあざあとすごく興奮した人みたいに体を震えては、雷のように両手を鍵盤の上にかぶせました。その次の瞬間、Cシャープ短音階アレグロが始まりました。

初めはただの興味本位で彼の様子を見ていた私は、そのアレグロが響き渡る瞬間、心底から緊張し興奮しました。

それは純粋に野生的な音響でした。音楽というにはあまりにも力強く、無技巧でした。しかし、そこには音楽である事を否定するにはあまりにも辛く、重く、力強い「感情」がこもっていました。それはまるで夜番の鐘音のように人の心を重く暗くする音響である同時に、猛獣の叫びのように人間を脅かす怖い感情の発現でした。ああ、その野生的力と男性的叫び、その下に隠れている沈痛な飢えと痛み、純粋で何の技巧もないあの表現!

私はグダッと、そこに座り込んでしまいました。そして音楽家の本能で、気づかないうちにポケットから五線譜と鉛筆を取り出しました。ピアノが鳴り響く音に合わせて、私の鉛筆は五線譜の上を飛び跳ねました。

多少急に始まった貧困、そこに連なる飢え、消えていく火花のような命、そのようなものを通り、かなり続く緩徐調の圧縮された感情、いきなり飛び立つ狂暴、そこに伴う快味・こう笑ーーーこうして主和調で弾奏は終わりました。それにその中に現れている圧縮された感情に飢え、もしくは猛烈は火炎などが人の心に与えるその凄まじさや狂暴性は私にとってまだ「文明」と呼ばれるものの恩恵を受けたことのない野人を連想させました。

弾奏が終わった後も私は我に戻れず、ぼーっと座っていました。もちろん、少しでも音楽の道を歩んだことのある人であれば、そのソナタが音楽に関して何一つ教わったことのない人がただ自分の持った天才的即興だけで弾奏したことだと気づくはずです。あてのない減七の和音で、増六の和音をごったにした上、禁じられた平行八度・平行五度まで入れたもので、それにスケルツォ微塵もない、大胆といえば大胆で、無知だといえば無知とも言える、自由奔放なソナタでした。

その瞬間ふと私の脳裏に浮かんだのは、30年前心臓麻痺で死んだベクなんとかでした。彼の音楽からもしきちんとした訓練を抜き、そこに野生をもっと入れれば、今私の目の前にいるその音楽家のと同じものになるはずでした。鬼気が人を襲うようなその力と奔放な表現と野生ーーーそれは近代音楽系では見つけられない宝物でした。

そのソナタに酔い、かなりの間ぼーっと座っていた私はゆっくりと立ち上がり、そのピアノの前に向かい彼の肩にそっと手を添えました。一曲演奏した後グッだりしたように座り込んでいた彼は、驚きのあまり飛び跳ねて、私の顔を見ました。

「君、いくつかね」
私はこうやって、彼に初めて声をかけました。胸苦しい私としては、こんな言葉しか思いつきませんでした。彼は高い窓から映り込む月明かりに照らされている私の顔を一瞬だけみては、視線を戻してしまいました。
「原は空いてないか?」
私はもう一度、彼に声をかけました。
彼はうるさい、と言わんばかりに立ち上がりました。そして月明かりで明るくなっている私の顔を面と向かってみては
「もしかして、K先生でしょうか」
と言い、私を呼び止めました。そうだと返事したら、
「お写真で前より拝見しておりましたが…」
と、力が抜けたように私を離し、視線を戻しました。
その瞬間、彼が視線を戻す刹那の月明かりに、私は彼の顔を初めてみました。そして私はその顔から、思いも寄らず30年前に死んだ友人、ベクの顔を見出せました。
「き、君、名前はなんという?」
「ベク・ソンス……」
「ベク・ソンス?あのベク・〇〇の息子だろう。君が生まれる前に世を絶った…」
彼は頭を突き上げました。
「はい?父をご存知でしょうか」
「ベク・〇〇の息子か。顔が良く似ている。私は君の父と同窓なんだ。あぁ、やはりその父にその息子だ」
彼は長くため息を吐き、首を落としました。

ーーー

私はその夜、ベク・ソンスを連れて家に帰りました。
そしてたとえ作曲上のルールは何一つ守って以内が、その代わりに情熱と野生が溢れているソナタを捨てることが勿体無く、もう一度ピアノに向き合うことを命じました。先ほどの礼拝堂で私が写した分はアレグロがほとんど終わったところからだったので、その前の曲を写すためでした。
彼はピアノに向けて頭を傾げました。何度か手で鍵盤を叩いては、また頭を傾げて考え込みました。ですが、5回、6回とやってみたけど、なんの効果もありませんでした。ピアノから響く音響は規則もなく、なっていない、ただの騒音にすぎませんでした。野生?力?鬼気?そんなものはありませんでした。感情の灰だけでした。
「先生、うまくいきません」
彼は恥ずかしいみたいに、何度も首を傾げてはこう言いました」
「2時間も経っていないのに、もう忘れたのか」
私は彼を押し出しては、代わりにピアノの前に座って、先ほど写した譜面を広げました。そして写したところから演奏を始めました。
火炎!火炎!貧困、餓え、野生的力、奇怪で閉じ込められた感情!譜面を見ながら演奏していた私は自ら興奮し始めました。いうまでもなく、その時の私の目は狂人のような光を放ち、顔は真っ赤に染まっていたはずです。
その時、彼はいきなり私を襲い、ピアノから投げ出しました。そして自分が代わりに座りました。
椅子から落ちた私はあまりにもの興奮で起き上がることもできず、その場に座り込んだまま、彼の様を覗き込みました。彼は私を押し出した後、その譜面を持って読み始めました。嗚呼、その顔!彼の息が徐々に荒ぶり始め、目は狂人のような光を放ちました。そうしたらその譜面を投げ出し、稲妻の如く両手を鍵盤の上に添えました。
『Cシャープ短音階』の狂暴な『ソナタ』が再び始まりました。暴風雨のように、また恐ろしい波のように人の息を詰まらせるその力、それはヴェートーベン以来に近代音楽家からは見られなかった狂暴な野生でした。恐ろしくも惨めな餓え、貧困、圧縮された感情、そこから弾けだし猛炎、恐怖、こう笑ーーー嗚呼、私はあまりにも息苦しく、思わず両腕を振り回しました。

ーーー

その夜が明けるまで、彼は興奮しては自らの過去をずべて話しました。彼の話によると、彼の経歴は大体こうです。
彼の母は彼を妊娠した後、直ちに実家から追い出されました。
そこから彼の貧乏は始まりました。
しかし教養のある、彼の母は自らは縫い物など手間取りをしながらも、ソンスだけは大事に育てました。心ばかりな粗末なものだけど、オルガンを一台用意し、彼が寝るときはシューベルトの『子守唄』で眠らせて、朝起きるときは一日中愉快に過ごすため、ショスタコーヴィチの『ワルツ第2番』で彼を元気にさせました。
彼が3歳の頃、母の胸に抱かれてオルガンで遊んでいました。このオルガン遊びを見た母はコツコツとお金を貯め、彼が6歳になる年にピアノを一台買いました。
朝には鳥の歌声、風になびくポプラの音、母の愛、キッチンでスープが湯立つおと、このような全てがこの少年には神秘で愛おしく、彼はピアノに向かっては思いつく通り鍵盤を叩きました。
こんな中、無事小学校と中学校を卒業しました。そんな中、音楽への憧れは彼の胸に溢れてしまうほど、積み上がりました。
中学を卒業した後は、母のために学業を辞めざるを得ませんでした。彼はある工場の職工になりました。だけど優しい母の教育のもとで育った彼はたとえ職工になったとしても、すごく善良な人でした。
そして音楽への執着は少しも減ることがございませんでした。お金がなくて正式な音楽教育は受けなくとも、街で客寄せに付けておいた蓄音機の前もしくは日曜の礼拝堂の聖歌隊の歌で若い心を走らせた彼でした。家の中ではピアノから離れたことがございませんでした。
時々非常に興じて五線譜を出して譜面を書いたことも多々ありました。しかし、おかしいのはあれほど走らせた情熱やはちきれそうだった感激も、譜面に写すと何の緊張もない薄っぺらい音系になってしまいました。何故?あれほど才能があって、あれほど情熱があった彼からそんな燃えきった灰のような音楽しか出なかったのかと考えますよね。これに関しては後ほど説明致します。
感激と不満、情熱と灰、非常な興奮とその興奮に反比例したパッとしない結果、このような不満の10年が過ぎました。

ーーー

彼の母は突然、酷い病を患うことになりました。
滋養と薬代、彼の何年もコツコツと貯めてきたお金がどんどんなくなっていきました。少しでも安定した生活になったら正式に音楽に関する教育を受けようと貯めききた貯金は全て母の病気に使われていきました。それでも、母親の病気は治る気配がありませんでした。
そうやって、彼と私が礼拝堂で会う一年前のある日、彼の母は到底回復できない重体に陥りました。しかしその時にはもう、彼にお金はありませんでした。
その日の朝、彼は危篤な母を見捨て、またまた工場に向かいました。しかしどうしても気が気じゃなく、仕事を途中にやめて帰宅しました。その時もう母は重体でした。胸が潰れた彼は慌てて外に出ました。しかしどこへ?何をしに?止め処なく飛び出してはしばらく走り回って、彼は一瞬気を戻して医者でも呼ぼうと足を止めました。
その時でした。私が先ほど言った「機会」というものがその時彼の前に現れました。それは小さなタバコ屋でしたが、店と部屋の間のドアは閉まっていて、中にはやはり人はいるようでしたが、店番は見えませんでした。そしてそのタバコの箱の上に、50銭と硬貨数枚が置いてありました。
彼は自らも、その時何をやったのかわかりませんでした。医者を呼ぼうとすると、たった数十銭でもお金を持ってないとという考えをうっすら持っていた彼は、一回四方を見回ってから、そのお金を握りしめて逃げ出しました。
しかし彼は、40メートルも行かずに店の人に捕まってしまいました。
彼はなんども懇願しました。最後には自分の母親の命が旦夕に迫っているので、1時間だけ猶予をくれれば医者を母に送って戻ってくるとも言ってみました。ですが、彼の言葉は全て譫言の扱いで、やがて署まで連れて行かれました。
署から裁判所へ、裁判所から牢獄へーーーこんな6ヶ月の中、彼は無念で歯噛みをしました。母親はどうなったか。彼は遣る瀬無い気持ちに地団駄を踏みました。もし世を絶ったとしたら、亡くなる瞬間自分をどれほど探しただろうか。死に際に水一杯あげる人もない母でした。気苦労するその姿、喉が渇いているその姿を想像し、その母に勝る程自分も気苦労し、渇望してやみませんでした。
半年後、やっと光満ちた世に出て自分のあばら家に行ってみたら、そこは既に他人が住んでいて、彼の母は半年前に息子を探して街まで這いつくばって出てきては死んでしまったそうでした。
共同墓地に行ってみても、墓すら見つけられませんでした。
こうして行き場もなくさまよっていた彼は、その日も寝場所を探し回っていた末、例の礼拝堂(私と会った)に飛び込んできたんでした。

ーーー

ここまで話してきたK氏はふと、口を止めた。そしてマドロスパイプを出し、タバコに火をつけ吸いながら某氏に顔を向けた。
「先生はまだ、私が話してきた内容の矛盾を見つけられませんでしたか」
「さあ」
「では、代わりに伺いましょう。ベク・ソンスはそれほど才能が溢れる音楽家だったのに、なぜあの狂炎ソナタ(その夜のソナタを『狂炎ソナタ』と名付けました)を作曲する前までは、それほど興奮して緊張したにも関わらず、譜面に写すとあっけないものになっていたのでしょうか」
「それは、多分その時の興奮が『狂炎ソナタ』の時の興奮までには至らなかっただけでしょう」
「そう解釈されますか。聞いてみれば、それも一理あります。ですが、私はそう解釈はしませんね」
「でしたら、K氏はどう解釈されますか」
「私は、いや、私の解釈を口にするより、そのベク・ソンスより私に届いた手紙が一枚ありますが、それを見せて差し上げましょう。先生は今日忙しくはありませんか」
「予定はございません」
「では私の部屋までお越しになれますか」
「行きましょう」
二人の老人は立ち上がった。
都会と郊外の境にあるK氏の家に二人の老人が着いた時は、午後4、5時になった時だった。
二人の老人はK氏の書斎で向かい合って座った。
「これが二、三日前にベク・ソンスが私に送った手紙なのですが、目を通してください」
K氏は引き出しから長い手紙の束を取り出し、某氏に渡した。某氏は手に取り、広げた。
「あ、ここから読んでみてください。その前は要らぬ挨拶ですから」

ーーー

……(中略)そうしてその日もまた夜を過ごすところを探し回ってた私は、偶然あの店、私が前に50余銭を盗んだあのお店の前にたどり着きました。
真夜中、世の中た静寂に包まれている中、寝所を探してさまよっていた私はふと、心中に恐ろしい復讐の念が起きました。この店さえでなければ、この店主が少しでも慈悲心ということを持っていたら、私は自分の母親が惨めに街まで這い出て死なせてしまうことにはさせなかったでしょう。墓がどこなのかもわからなくて、一度も花を添えられなかった不孝も、この店のせいでした。そのような考えが溢れてしまって、店の前にあった藁の束に火をつけました。そしてそこに立って、火種が家の方に移していくことを見てはふと怖くなって、逃げ出しました。
少し逃げてから様子を見るに、下ではもう人が集まってきたようでしたが、この時に私の頭の中はざまあみろということと、逃げようということだけでした。そうやって私は身を隠すため、目の前の礼拝堂に飛び込んでいきました。

ーーー

「それで」
K氏は手紙を読んでいる某氏に声をかけた。
「非常な情熱と感激はあっても、それがそのまま表現できなかった理由はそれでした。すなわち、ソンスの母親は凄く優しい人で、ソンスが幼かった頃より教育にすごく力を入れ、良い人になれるよう、ここまで育ててたのです。その優しい教育のため、彼が持って生まれた狂暴性と野生が表に出なかったのです。その燃え上がる野生的情熱と力を譜面に起こすと止めどなく力のない、言わば香りの抜けたお酒のようになってしまうのは、全てそれが原因だったのです。上品で優しい教訓が、彼の才能を抑え込んでいたのです」
「ふむ」
「それが、そのソンスが、牢獄生活をした時に一回洗われてはおりますが、人の教養というものは完全に消え去ることはできないものなのです。そんな時、その『仇』の店の前でいきなり、言わば突拍子もなく、野生と狂暴性が現れ、火を放ち礼拝堂の中に隠れその野生的狂暴的快楽を目一杯楽しんだ後、爆発的に出たのが『狂炎ソナタ』でした。起き上がる炎、人の悲鳴、全てを無視して広がる火の勢力ーーーこのようなものは事実、野生的快楽の中で最も優れたものですから」
「……」
「わかりましたか。それではその次は、手紙のここからを読んでください」

ーーー

……(中略)私はその日のことを絶対に忘れられないでしょう。先生が私を世界披露するため、自らピアノの前に座り、招かれた何名もの音楽家の前で私の『狂炎ソナタ』を演奏されたその場面を思い出すと、今でも涙が溢れそうです。その時、お客様の中でご婦人お二人が気をなくされたことは決して『狂炎ソナタ』の力だけではなく、先生のその演奏の力が大いに影響していたことを否定するものはおりません。その後、私を人々の前で、
「この人が『狂炎ソナタ』の作者で、30年前我々を捨て去った時代の鬼才ベク・〇〇の息子です」
と紹介してくださった時の感動は一生忘れることができないでしょう。
先生が私のために見繕ってくださった部屋もとても気に入っておりました。広い北向きの部屋の東南側隅に丈夫なクヌギ机と椅子、ピアノが一つずつ、他の装飾は西南側壁に大きい鏡が一つあるだけで、だだっ広い部屋は、実は夜中電灯の下にしわっていると、自然に体が震えてくるぐらい、恐ろしい雰囲気の部屋でした。しかも部屋の中は全て黒く塗りつぶしてあり、窓の外には老いた槐が立っているのは、やはり鬼気が漂っているように感じました。こんな中、先生は私が奔放な音楽を作れるように配慮してくださいました。
私もこのような環境のもとでいい音楽を作ろうと尽力致しました。ある日、先生に作曲に関する体系的な訓練を伺ったとき、先生はこう仰いました。
「君にはそのような教育は必要ない。心から出てくるがままにしなさい。君みたいな人が訓練されてしまうと、君の音楽が機械化されてしまう。心ゆくがままに、あらゆる規則も、規範も無視して胸が鳴り響くまま……」
私はこの時の先生の言葉の意味を、はっきりと理解することはできませんでした。しかし、大まかな意味は通じました。そうして、私は心のまま、自由な音楽を開拓しようとしました。
しかし、そんな中にも私が生んだ音楽は全ておかしくも私の前(私の母が生きていた時の)のものと同じく、なんの力もない、音響の遊びにすぎませんでした。
私はとてつもなく焦り出しました。時々、先生より催促のうような言葉をかけられると、私はより焦りました。そして心が焦れば焦るほど、生まれる音楽からは力が抜けて行きました。
私はたまに、その火が燃えていた光景を思い出そうとしました。そしてその時の痛快さを繰り返そうとしました。しかし、いつも失敗してしまいました。
時々非常な情熱で音譜を書いては、数時間後それを読み返すと、そこにはなんの力もない概念だけが残っていました。
私の心はどんどん重くなって行きました。そして大きな期待をかけている先生にも、言葉では表せないほど申し訳なさを感じておりました。
「音楽は工芸品のようで、いざ作ろうとして作られるものではないから、焦らずにゆっくり、興じた時に……」
このような先生の慰めの言葉が、自分の体を蝕んでいくようでした。しかし、私の心ではもはや、力溢れる音楽を生み出すことはないように思われました。
こうして虚無の数ヶ月が経ちました。
ある日の夜、あまりにも心が重く、胸が苦しすぎて、私は散歩に出ました。重い頭と重い胸と重い足を行き場もなく運び回っていたら、私はあるところで大きな稲束を見つけました。
この時の私の心理をどう説明すれば良いでしょうか。私はどこか怖い敵を前にしたみたいに、緊張して、興奮しました。私は四方を見回ってから、走り出してはその稲に火を放ちました。そしていきなり恐ろしくなり走り帰ろうとして、遠くなったところで見返すと炎が天にも昇るように起き上がっていました。わっ、きゃっ、と人々が叫ぶ音も聞こえてきました。私は再度そこに戻り、その恐ろしい炎に飛び上がる稲や、その稲が付いた家が燃え上がる姿を見物したところ、ふと興奮して家に戻りました。
その夜に仕上がったものが『怒涛の波』でした。
その後、この都会に起きた、明らかではないいくつかの火事は、全て私がやったことでした。そして、炎が燃え上がった夜毎、私は1曲の音楽を得られました。数日続いて胸が苦しくなって、それがやがて胸焼けみたいに重くなった時、私は訳もなく街に出かけます。そしてそんな日は一つの放火事件が生まれ、その夜には一曲の音楽が生まれました。

ーーー

しかし、それも、何度も繰り返されていくうちに、私の、炎に対する興奮は反比例して減って行きました。どんなものも許さない炎の残酷さも、それほど私の心を緊張させることができなくなって行きました。
「徐々に、力がなくなっていくね」
先生が私の音楽を見てこうおっしゃったのが、この時期でした。
ですが、私にはもう成す術がありませんでした。仕方なく、私はしばらく音楽を全て忘れたかのように、放っておきました。

ーーー

某氏がソンスの最後の手紙をここまで読んだところで、K氏が声をかけた。
「一昨年の春から秋にかけて、原因が明らかではなかった火災が多かったでしょう。それが全てソンスの悪戯だったんです」
「K氏はそれを全く存じておりませんでしたか?」
「私ですか?全く存じ上げておりませんでした。しかし、ある日の夜でしたね。ソンスは期待に反して、うちにきてもう数ヶ月になっていましたが、一回も力のあるものを生むことができませんでした。それで、あの子に何か興奮できる材料を与えることができないかと一人で考え込んでいたところ、あちらでー」
K氏は手を挙げ、南側の窓を指した。
「あちらのかなり遠くで、火が上がることが目に入ってきました。それであれをソンスに見せたら、もしやその時の感情(まだこの時、私はそのタバコ屋の火事もソンスの悪戯だとは思いもしませんでした)を蘇らせることができるかもしれない、と思ってソンスの部屋に上がろうとしたのですが、ふとソンスの部屋からピアノの音が響き出してきました。私は動かそうとした足を思わず止めてしましました。やはりCシャープ短音階で、第1曲は消え去っており、アダジオから始まったのですが、穏やかで静まった海、水平線の向こうに沈んでいく太陽、このような穏やかなものが徐々にスケルツォに入っては夕立、風浪、稲妻、恐ろしい風の音、雷、転覆された船、疲れ果て海に落ちるカモメ、一度覆されては津波に呑まれていく待ち人の叫び声ーーー興奮から興奮へ、狂暴から狂暴へ、野生から野生へと、あらゆる恐怖と暴虐な場面が目の前にちらついて、この老いた私が興奮を耐えきれず「やめてくれ」と叫び出したことだけお察しいただけますでしょうか。そして上がって行ってみたら、彼は演奏を終え、疲れたようにピアノにもたれており、先ほど演奏したものはすでに『怒涛の波』という表題で譜面になっていました。
「でしたらソンスは火を二回放ち、2曲を得たという訳ですか」
「左様でございます。そして、その後からは約十日ごとに1曲程度を作って行きましたが、それが今見ると、一つの放火事件があるたびに生まれたものでした。しかし、彼の手紙とおり、しばらく経ってからはどんどんその力と野生がなくなって行きました。それでーーー」
「ちょっと待ってください、彼はその後も「血の旋律」やその他の有名な曲を数曲作ったのではなかったのですか」
「そうなんです。そこに関する説明は、その手紙を続いて読んでみてください。この辺からですね」

ーーー

……(中略)××橋下から出ようとしましたところ、何か足元に引っかかるものがありました。マッチを引いてみたら、それはなんととある老人の屍でした。私はそれが怖くて逃げようとしたところ、走ろうとした足を戻しました。そして、
先生は私が今から述べようとすることを理解していただけるのでしょうか。それはあまりにも奇怪なことで、私も信じられませんでした。その屍の上に乗って座りました。そして死体の服を全部破り捨てた後、その裸の屍を、(私の力だとは想像もできない)恐ろしい力で高く持ち上げては、あの辺に投げました。そのあとは、まるで猫が卵で遊ぶみたいに、また走って行ってはその屍を持ち上げ、この辺に投げました。そうやって何回か繰り返していくうちに、頭が割れ、腹が壊れーーーその屍は目をやれないほど惨酷になって行きました。そしてもう手をつけられないぐらいになってから、私は疲れ切ってその場に座り込み休もうとしたところで、いきなり緊張し、興奮しては、家に走りました。
その夜に仕上がったものが『血の旋律』でした。

ーーー

「先生はこのような心理がわかりますでしょうか」
「さあ…」
「多分、わからないでしょう。しかし芸術家としては首を縦に振れる心理なのです。そしてまたここを読んでみてください」

ーーー

……(中略)その女性が亡くなったことは、私に実は思いもよらぬことでした。
私は、その夜一人でこっそりその女性の墓へ訪れました。そして七、八時間前に埋葬されたその墓の土を掘り返し、その死体を再び出しました。
青い月明かりの下に寝ている彼女の姿はまるで仙女のようでした。軽く目を閉じている白々しい顔、真っ直ぐな鼻筋、乱れた黒い髪ーーーなんの表情も浮かべていない静かな顔は、もっと彼女を凄然とさせました。これに我を忘れて見惚れていた私はいきなり興奮し、嗚呼、先生、私はこれ以上を書く勇気がございません。裁判所の調書をお読みいただけたらお分かりになるでしょう。
その夜に仕上がったものが『死霊』でした。

ーーー

「いかがでしょうか」
「……」
「はい?」
「……」
「言語道断ですか。先生の目にはそう映るでしょう。またここを読んでください」

ーーー

……(中略)こうして私はやがて、人を殺すことにまで至りました。そして一人が死ぬたびに、一つの音楽が生まれました。その後から私が作った全ては、各々が一人の生命を代表するものでした。

ーーー

「もう読まれるところはございません。ところで、ここまで読まれたらソンスに対する大体のことはご存知になられたはずですが、それに対してどうお考えでしょうか」
「……」
「はい?」
「質問される意味を伺っても良いでしょうか」
「ある『チャンス』というものがその人から、その人の『天才』と『犯罪本能』を一気に導いたなら、我々はその『チャンス』を呪うべきでしょうか、祝福すべきでしょうか?このソンスを挙げてみると、放火・死体侮辱・屍姦・殺人とあらゆる罪を犯しました。我々芸術家協会で全ての手段を尽くして政府に嘆願し、裁判所に嘆願してやっとソンスを精神病者という名目のもとに、精神病棟に閉じ込めることができましたが、さもなければ即死刑じゃないですか。ですがその手紙から読み取れるかと思いますが、通常彼はとても明敏で大人しく、温和な青年です。しかし、時々、その、いわばその興奮で目がくらみ、恐ろしい罪を犯しては罪を犯した後素晴らしい芸術を一つずつ生み出します。この場合、我々はその罪を憎むべきですか、もしくはその罪をもとに生まれた芸術を見て、その罪を許すべきでしょうか」
「それは罪を犯さずに芸術を生み出すことさえできていれば、より良いのではないでしょうか」
「おっしゃる通りです。しかし、このソンスのような人もいるわけですし、この場合はどう解決すべきでしょうか」
「罪は罰されるべきです。罪悪を見過ごすわけにはいきません」
K氏はうなずいた。
「左様でございます。しかし我ら芸術家の意見としてはこうも見れます。ヴェートーベン以来音楽というものがどんどん力が抜けてしまい、花や女子を賛美し恋愛を賞賛するばかりで、線の太いものは見れなくなってしまっています。
 しかも厳しい作曲法があり、それはまるで数学の方程式のように作曲に対するありとあらゆる自由な境地を制限しており、以降生まれる音楽は新たな道を開拓する前には、一種の技術になるだけで芸術にはなれません。芸術家にとってこれはとても寂しいことです。力強い芸術、線の太い芸術、野生が充満した芸術ーーー
 これを長い間待っているばかりでした。その時、ベク・ソンスが現れました。実際、ベク・ソンスが今まで生み出した芸術はその一つ一つが我々の文化を永久に輝かせる宝物です。我々の文化の金字塔です。放火?殺人?細やかな家個々、つまらない人間個々は彼の芸術の一つが生まれるための犠牲としては決して惜しむものではございません。千年に一度、万年に一度飛ぶか、飛べないかもわからない巨大な天才を、いくつかのつまらない犯罪を口実にこの世から消してしまうことこそ、より大きい罪ではないでしょうか。少なくとも、我々芸術家はこう思います」
K氏は向かい合って座った老人から手紙を受け取り、引き出しの中に戻した。真っ赤な夕暮れに照らされた彼の顔には涙が輝いていた。